行ってきました   見てきました  ・・・足を運んだ所などを載せています   2024   


   三重の松阪 と 奈良の長谷寺・ 室生寺・聖林寺の旅     2024 年 2 月 14 〜16 日

今日は上天気、昼間は春の様だが朝夕はまだ寒いです。 鯛屋” 東京11:48  東海道新幹線のぞみ69号にて名古屋に向かいます。13:25  名古屋で乗り換えて、13:37  快速みえ鳥羽行きに乗ります。 14:30分頃、松阪に着きます。街中を歩くと商店街がズラーっと並んではいるが、シャッターが降りている店が多いです。昔、江戸中期、文化文政の時代、お伊勢参りの宿場町として賑わった街の面影が残っています。
そして今晩の宿「鯛屋」に到着します。「わ〜カッコイイ!」およそ100年前の外観をそのまま移築して修復し、昔の姿を今に伝えています。鯛屋に荷物を預けて近所の名所を散歩します。
三越の生まれた街、豪商の街を歩き、松坂城跡へと進みます。石垣が立派で、城跡の高台から眺める「御城番屋敷」は生垣の頭がパッツンと平らに綺麗に刈り込まれ、長屋のように二列に並んでいます。城を出てからそこを眺めた所、一軒だけは見学自由で公開してて、他の家は人が住んでいて、玄関周りの植木などに丁寧に手が入れられた住まいになっています。
“長谷寺仁王門” 夕方4時半頃、宿に戻り、お風呂に入り、6時半頃いよいよお楽しみの夕食です。名物のしゃぶしゃぶは松坂牛のお肉が大皿一杯に綺麗に並んでいます。初めはポン酢で一枚食べてそのあとはごまだれで頂きました。柔らかく美味しく口の中ですうーっと広がる感じを満喫してお腹いっぱいになりました。 そして夜10時頃布団に入りました。

翌日朝6:30に起きて7:00朝食、8:10宿を出発します。 今朝は曇り時々晴れと言う感じ・・このあたりのテレビの天気予報は「雨時々止みます」と言ってます(ちょっと笑ってしまいます)
8:23松阪発(近鉄特急、京都行き)に乗り大和八木に9:23頃着き、レンタカーを借ります。ナビに長谷寺と入れます。長谷寺はとても有名で昔から興味がありましたが、行った事が無かったのでワクワクしています。 “長谷寺回廊”
長谷寺に着くと「仁王門」が現れ、古き重厚な佇まいに心が惹きつけられます。その門を抜けると、それ以上の感動がドンと胸を突きます、わぁー!スゴーイ!長い「登廊」が現れます。風雅な長谷型灯籠を吊るして吸い込まれる様な登り階段は見事です。その右側には、雪除けの麦わらとんがり帽子に可愛らしく囲われている美しい「牡丹の花」に出会えます。 “牡丹の花”

そしてその先に山の斜面に建てられた、前面がせり出した舞台が付いている大建造物、国宝の本堂に行きます。そこには物凄く大きい御本尊、十一面観世音菩薩(10メートル余)があります。大迫力でした。その後「開山堂」「本長谷寺」「五重塔」を巡りました。
素晴らしい長谷寺を後にして、「室生寺」に向かいます。こちらも苔むして深い歴史を感じます。立派な「仁王門」をくぐり「鎧坂」を登ると国宝の「金堂」があります。そこには薬師如来を含む「三尊」三つの立像が並び、 その手前に薬師如来の従者である12人の立像のうち6人の立像が力強いポーズでこちらを睨んでいます。そこから石段を登ると「本堂」があり、国宝の如意輪観音菩薩像が安置されています。穏やかな作風、体を斜めに少し崩してとても綺麗で魅了されました。 “室生寺五重の塔” 本堂の隣、趣きがある階段を見上げると国宝「五重塔」があり凛とした姿です。 おなごり深く、室生寺を後にしました。
次は「聖林寺」(しょうりんじ)に向かいます。細い山坂、細い橋を渡り人里離れた所に感じの良いお寺があります。本堂に入ると「安産・子授け」の阿弥陀如来坐像があり、その隣の観音堂には、国宝の十一面観世音菩薩(2メートル位)はバランスの取れた見事な立像が安置されています。 ミロのヴィーナスとも比較される仏像彫刻の優作とされています。今日訪れた三つのお寺は人が少なく静寂な空気に包まれて気持ちが澄んできました。
大和八木に戻り、レンタカーを返して15:41発、近鉄特急賢島行きに乗ります。そして昨日と同じ松坂に行きます。今夜の宿は昨日とは違う「小西屋」と言う所です。ここも昔ながらの懐かしい日本家屋です。 夕食は昨日と雰囲気を変えて外に出て “室生寺宝物殿” 「一升びん」と言う松坂牛焼肉の店に向かいます。 お客の前に炭火の七輪が客2人に一つずつ位の感覚で置いてあり、客が自分で勝手に焼いて食べる様です。貴重なお肉なので(笑)心して焼き加減を見ながら程よいタイミングで美味しく頂きました。満腹で宿に戻り、お風呂に入り布団に入りました。

翌日7:00頃起きて小西屋さんの朝食を頂きました。フレッシュりんごジュース、伊勢海老の味噌汁、牛肉入り蒸し物、牛肉の佃煮、ふわふわオムレツ、など美味しかったです。泊まった部屋の目の前に中庭がありくつろげて宿泊費がリーズナブルで良い宿でした。楽しい思い出とともに帰路に向かいます。

   仙台   塩竈   登米   石巻  の旅          2024 年 1 月 18 〜20 日

10:40家を出て、11:50東京発  はやぶさ55号  仙台行に乗ります。ここ4〜5日、関東は晴れていても寒さの底で厳しかったですが、今日はふんわりと暖かく嬉しいです。
13:30分仙台にて乗換え小牛田(こごた)行きに乗り国府多賀城駅で下車します。目の前の広々とした平野を歩き小高い丘を行くと、 塩竈神社” 芭蕉がここを訪れた時に残した俳句が石に刻まれている「つぼの石ぶみ」多賀城碑(可愛らしい四角の木造の建物)がありました。この後、国府多賀城駅に隣接している東北歴史博物館に行くと、残念な事に休館だったので、電車に乗り塩竈へ行きます。 塩竈駅から少し行くと、塩竈神社がありました。一直線の遥か上まで続く長い石段を見てちょっと躊躇しましたが、気を取り直し登りお参りをしました。帰りはなだらかな下り坂、ホットして街中をのんびり歩いていると、本塩竈駅につきました。電車に乗り、陸前浜田を過ぎ松島海岸駅で下車します。
駅から上り坂を歩いて10分の所に今日の宿があり「旅亭雲静庵」りょていうんせいあん、と言う洒落た名前です。部屋の窓から松島海岸の島々が見えて素敵です。夕食は久しぶりのバイキング、仙台牛肉ほうば味噌焼き、などお腹いっぱい頂きました。2階ラウンジには無料飲み放題、つまみ食べ放題があり皆さん楽しくくつろいでいました。 “登米小学校”

翌日朝6:30に起きて7:30朝食、8:15宿を出発します。本塩竈駅近くに海岸があり、名勝松島をぶらり散歩します。東日本大地震の影は所々にあるけれど、とても綺麗な海岸を眺める事ができ感無量でした。駅に戻り、仙台線、8:56発、石巻行きに乗ります。今日は晴れて上天気です。進行方向右側には美しい輝く松島の海岸風景が続いています。そして石巻で下車します。
レンタカー屋さんに行きます。登米(とよま・とめ)ふたつの呼び名がある街に向かいます。まず「教育資料館」明治21年に建てられた小学校校舎、純木造2階建て、中心の2階バルコニーが全体のシンボルの洋風建築がそのまま残されています。これは素晴らしかったです。次の「登米市出身高倉勝子美術館」は女子美出身との事で興味深く拝見しました。そして伝統芸能伝承館「森舞台」は江戸時代から伝わる登米能や岡谷地南部神楽など今日まで大切に受け継がれています。舞台の外庭はそのまま背景として自然の竹林や春の桜や秋の紅葉がさぞ美しいと想像できる所でした。 “森舞台”
この近所に元祖油麩丼の店「味処もん」があり昼食を取ります。小さい店で靴を剥いで上がると畳の部屋にちゃぶ台ひとつと座椅子四つのセットが4組並んでいて、昔懐かしいお店です。「油麩丼」美味しかった!正座もオーケイ(笑)
この店の近所の北上川をぶらっと散歩して、石巻駅に戻り、レンタカーを返しました。
その後、歩いて15分位の所にある「石ノ森ミュージアム」に向かいます。道のあちこちに石ノ森章太郎のキャラクターの像があり、訪れた人を迎えてくれます。北上川の中洲のような所にデッカイ丸い頭のような建物が目に入りました。この建物は東日本大地震でも生き残ったそうです。すごい頑丈だったのですね。仮面ライダーZ  や  サイボーグ009  などの成り立ちや思考を凝らした展示がありました。
ミュージアムを出て駅の方に向かいます。所々で震災の足跡が見られますが、大分再建されている様に見受けられます。夕方5時に予約してある「すし寳来」に行きます。 料理の味は最高でとても美味しくいただき、店主が「どちらから?」とか「今日はどちらを見て回ったのですか?」と話しかけてくれたのでとても楽しい時間を過ごしました。予定していた時間ぴったりに18時45分に店を出て、18時57分の仙台行きの列車に乗ります。丁度1時間後、夜8時頃に仙台のホテルに到着してゆっくり過ごし風呂に入り眠りました。 “石ノ森ミュージアム”

翌朝7時10分頃起きて、8時頃、朝の散歩がてら仙台の街に出ます。大きなビルが立ち並び大都市の感じです。道幅が広くて店もたくさんあります。街路樹も立派です。そんな街中で亡き父(和菓子屋をやっていました)の時代を彷彿とさせる昔ながらの和菓子屋さんで食事も作っている「藤屋のだんご」と言うお店に入りました。父が使っていた道具や機械も見えます。高齢のお二人とその娘さんらしき人が店を切り盛りしています。ここで朝食のラーメンをいただき、とても懐かしくほのぼのとした気持ちになり、我が家へのお土産に豆大福とお赤飯を買いました。 その後、10:57仙台発はやぶさ50号に乗り帰路に向かいます。いろいろ巡りあっと言う間の楽しい旅でした。

“秋田犬秋の紅葉” 秋田の湯沢・増田/岩手の盛岡 の 旅          2023 年 12 月 6 〜8 日

関東は12月だけど暖かいです。秋田と岩手はどうかしら?天気予報によると曇り所により雨、でもまあ最近の旅はたいした雨にならずに済んでいるのでなんとかなるでしょう。でも寒いといけないのでダウンを着て11時に家を出発します。
東京  12時20分発  東北新幹線こまち23号秋田行きに乗ります。窓の外は上天気、仙台に向かう途中、大きく立派な山「座王」が見えました。仙台に到着、銀杏の黄色が綺麗!まもなく盛岡に到着します。ダイナミックな「岩手山」が真近に迫って来ます。その後地面は雪景色に変わりました。そして山に入り列車のスピードが遅くなり田沢湖  角館  大曲と進みます。
“秋田犬白”   15時35分  大曲で乗り換えます。ローカル線  湯沢行きは手動のボタンを押して列車に乗ります。なんとなくウキウキして愉快です。列車が走り出すと、車窓には広々とした両側の田畑が雪にすっぽりと包まれ夕陽を浴びてキラキラ輝いています。湯沢にて下車します。駅前に管さんの銅像がありました。
今日の宿は「秋田犬と猫たちのいる宿」と言うユニークなところです。とてもざっくばらんで面白いおかみさんが元気に出迎えてくれました。
興味津々で玄関に入ると、左手が猫ちゃん部屋(6〜7匹)、右手がワンちゃん部屋、それぞれ4畳半位の大きさで猫ちゃんは高い所まで登れる遊び場もあり、それぞれが好き勝手な場所で寛いでいます。時々この部屋で一泊してしまうお客さんもいるそうです。秋田犬の晃子さん(あきこ)は一頭で過ごし易い作りになってます。猫ちゃんたちは部屋から出ると、撫でて〜〜撫でて〜〜とゴロゴロ転がりお腹を出して甘えてきます。晃子さんとは今日の所はボール投げをして遊びました。久しぶりに触ったり遊んだり楽しみました。晃子さんと明日、外に散歩に行く予定です。 「美山荘」と言うこの宿はリノベーションしたばかりで建物や部屋は新しく綺麗で、使い勝手が良く、食堂には食事ができる様に色々道具が揃っていて、おかみさんは「自由に使ってください」と言う感じで「私はいつもお客さんをほったらかしです」と笑ってます。素泊まりのような感じでかな?(一泊一人5千円)夕食は外の店に行き、明日の朝食はコンビニで何か買って来ます。 “内蔵(両関酒造)”
夕方6時半頃外に出ます。おかみさんに教えてもらい近所の居酒屋「川太郎」に行き、カウンター席に座らせてもらいます。名物の三関のセリの和物、きゅうりのフライ、鍋物、だだみ(たらの白子)など美味しくいただき、店主と美山荘、三関のセリ、地元の話で盛り上がり、楽しい時間を過ごしました。
9時頃宿に戻り、玄関でおかみさんと立ち話をして大笑いして部屋に行きゆっくりしてベッドに入りました。

翌朝7時頃起きて、7時半頃食堂に行き、昨日買ったご飯とシャケ、鳥とネギの焼き物をレンジでチンして食べ始めた時、おかみさんが飼っている烏骨鶏の生みたて卵を3つ持ってきてくれました。ぷるんとしていて美味しかったです。宿の外に烏骨鶏小屋があり、ここは動物天国です。
朝食を済ませて、ちらっと晃子さんを見に行くとおかみさんが、「散歩に行かれるでしょ」と準備してくれたので出発します。念願の晃子さんとの散歩です。晃子さんは大人しい方だけど、さすがに大きいから力があり、グイグイ行きます、 晃子さんの毛が雪に映えて綺麗です。かなり遠くまで気持ち良く歩きました。我が家の犬が亡くなってからずいぶん時が過ぎていたので、久しぶりの感覚が甦り嬉しかったです。そして猫ちゃんたちにもお腹をなでなでしてお別れの挨拶をして美山荘を後にしました。
その後、この湯沢の街を散策します。内蔵(うちぐら)のある両関酒造は立派な建物で白壁造りです。内に入ると天井がすごく高く、奥の内蔵に酒があります。 “湯沢の街並み” そこは以前  吉永さゆりさんがコマーシャルに出ていた場所の様です。思わずシャッターを押してしまいました(笑)その後9時30分に見学の予約をしてある「らんまん酒造」に行きます。5階建ての大きなビルで、手を消毒して白いキャップと白衣を着て巡ります。酒造り順路を丁寧に案内してくれ、最後に利き酒10本をひとつひとつ試飲させてくれて、美味しくて大満足です。話の面白いお兄さんでした。
その後、横手市の増田へ向かいます。 昔、炭坑、養蚕で栄た街。古く立派な木造りの家がたくさん並んでいます。中でも内蔵のある重要文化財「佐藤又六家住宅」は1752年から現在の当主で12代を数えています。当主自らが住まいであるこの建物の案内を代々引き継いでやっています。2階建ての神棚や外に出られる2階の大扉など、とても立派でした。
その後、北上線普通列車、14:15頃  横手発  北上行きに乗ります。雪深い山の中を湯田錦秋湖など眺めながら 北上駅で1度外に出て、付近を散策して駅に戻り、16時40分発  盛岡行やまびこ63号に乗ります。 盛岡駅で降りて駅ビルの中のホテルが今日の宿です。宿の近所の「さかなや富八商店」と言う良心的な落ち着いたお店に入ります。鍋物、アジフライ、刺身盛り合わせ、和物4種を5時半から7時半まで、ゆっくり美味しくいただきました。今日1日で11938歩、良く歩きました。
“佐藤又六の家” 翌日、今朝は晴れです。6時50分頃起きます。モーニングコーヒーと朝食を取る為外に出ます。やはり外は寒いです。20分ほど歩いて、盛岡の一番の繁華街に行きます。本当はこちらがメインストリート、だそうで店もたくさんあり、盛岡城跡もありました。今回も昭和レトロの喫茶店でドッグパンとトーストパンとサラダのコーヒーセットをいただきました。とっても美味しかったです。店を出で、ぶらぶら歩いていると、昔で言うふわっとしたコッペパンに各種色々挟んだパン屋さんを見つけて、今日の昼用と夜用にどっさり買って、ホテルに戻りました。
10時51分盛岡発、13時4分東京着  こまち16号に乗ります。出発する前にもう一つの新幹線との頭同士の連結が目の前で見る事が出来ました。ゆっくりゆっくり行うんですね。面白かったです。色々な事があり楽しい旅でした。

   京都   天橋立   伊根 の 船宿の旅          2023 年 11 月 16 〜18 日

関東は今日も良い天気ですが京都方面は明日が雨らしいとの事、まあまあの天気であります様に祈りながら、午前10:40頃家を出発します。 こちらは3日前から急に寒くなったので、セーターとズボンという服装でコートもちょっと暖かめにしました。
12:00東京発  のぞみ227号  京都行に乗ります。 京都にて乗り換え、14:25発  はしだて7号  特急天橋立行に乗ります。車窓からの渓流の眺めは素晴らしかったです。舞鶴で切り離しの為「綾部」にて少々停車します。そして福知山を通って宮津に向かいます。窓から福知山城が見え、とても立派な木造建の凝った天守閣で行って見たくなりました。
和貴宮(わきの宮)” 宮津に到着後ホームに出ると、駅の外は人がいっぱいいます。観光客かしら?地元の人だけでは無い様です。どういう事かしら?と思っていたら、駅を出た所の向かいにすごくレトロな日本家屋の食堂があったので観光客が写真を撮っていたのでした。思わず私もパチリ、吊られて写真を撮ってしまいました。宮津の街並みは歴史があり、落ち着きがあり昔ながらの清く正しい店や民家が並んでいます。街を散策し「宮津」の地名になったゆかりの「和貴宮神社」に寄り今夜の宿に向かいます。
「茶六別館」と言う昔ながらの和風旅館で部屋も広く落ち着いています。食事の前に温泉に入ります。そこで一緒になった大阪から来たと言う二人は「ここは食事が美味しいのよ」「私達はもう3回も来ているリピーターよ」「蟹が有名よ」などど楽しく話をしました。 “茶六別館” その後  食事処に行くと、先ほどの彼女たちがすでにテーブルについていて「ほら、見て!」と言うので見たら、真っ赤な大きなカニがで〜〜んと大皿に乗っていました。私達は別のコースだったので、カニはその半分位でしたが充分の量です。そして他にも各種お料理があり大満足お腹いっぱいいただき、おまけに夜食まで付いていました(笑) 部屋に戻るとちょうど9時、テレビなど見て10時半頃布団に入りました。

翌日、6時30分頃起きて、支度を済ませ、8時の朝食を取りに行きます。湯豆腐、おかゆ、味噌汁、ぶりの照り焼き、だし巻き卵、デザートは梨の蜂蜜ヨーグルト。とっても美味しくいただきました。8時45分頃、「茶六別館」を後にします。 宿のすぐ向こうの島崎公園に行くと、目の前に宮津湾が広がり、その先は日本海だ!えー!京都に海があるんだ!と感動しました(地理が苦手な私です  笑) 宿の御隠居さんに車でレンタカー屋まで送ってもらった時、「成相山の山頂の大パノラマが良いですよ」と教えてくれました。レンタカー屋のお兄さんは「もし伊根の方に行くのなら、道がかなり狭いので、すれ違いなど難しいので、対向車が見えたら、ゆっくり待って相手の車を行かせた方が良いですよ」と教えてくれました。レンタカーのナビに伊根と入れ出発します。 “伊根の舟宿” 伊根湾に着くと、海岸線が入り組んでクネクネ細い道が続きます。なるほど、難しい道です。何回もすれ違いがありましたが、ゆっくり進めました。岬を目指して行くと道を挟んで左が住居で右が舟宿になっている!それがワンセット!すごーい仕組みだ!所によって舟宿がズラーっと並ぶ景色(海側から望む風景)が見渡せて、舟宿にある舟も見えてすごく感動しました。
そんな道が延々と続いているこの街は不思議な事にそれが古い木造建築なのに街は活気があるのです。 そこに人々が暮らしているので寂れた感じが全く無いのです。いつまでもここにいたかったのですが、雲行きが怪しくなってきたので、岬の少し手前で引き返す事にしました。
クネクネした細い道から右手の太い上り坂の道へと入ります。どんどんぐいぐい急勾配の上り坂を1キロ位登ります。宿の御隠居さんが教えてくれた「成相山の山頂の大パノラマ」はさすがの大展望です。遥か下の街並み、宮津湾や阿蘇海、天橋立も綺麗に見渡せます。山頂から遥か下の成相寺をお参りして、天橋立に行く事にします。
天橋立の駐車場に車を止めて、歩いて行きます。立派な松が立ち並び、そのさきに行くと回転する橋があります。その先右側には白くて綺麗な砂浜が続き水も澄んで水色です。 “天橋立” その先を歩いていくと、四方海なのに綺麗な水が湧く泉があり、不思議です。しばらく歩き引き返し、今度は山の展望台にリフトで登ります。展望台からの眺めはチョー良かった!天気は数時間前から晴れ渡って遠くまで良く見渡せ、天橋立は龍の様に延々と海面に横たわり白い浜辺と深緑の松林がお互いに際立ち美しい姿でした。その後、宮津に戻りレンタカーを返します。
夕方、4時  宮津発    特急はしだて6号に乗ります。京都には18時7分に着きました。タクシーに乗り、6ヶ月前、京都で泊まった風情溢れる宿「寿栄屋」さんに2度目の宿泊をさせてもらいます。勝手知ったる我が家の様に「こんにちは」と門を開けると、「はーい  お待ちしてました」とおかみさんが元気に明るく出て来てくれました。その上お客さんが多いこの時期に前回と同じ部屋に通してくれました。ひとしきり話をしてから、外出して夕食を取ります。
10年位前に1度来たことがあるこじんまりとした優しいおかみさんが一人で切り盛りしているお店に行きます。以前と変わりなく、優しい心遣いと美味しい食事を楽しみました。9時頃宿に戻りお風呂に入り部屋でくつろいでいると、あっという間に11時近くになったので布団に入りました。
「バタンキュー」なんて言葉は私には無縁で、寝付きは悪い方です(最近は割と良くなって来ましたが・・笑)この日は30年に1度位の寝付きの良さ、布団に入った途端すーっと眠り、気がついたら翌朝の6時15分だったのです!ホントびっくり!嬉しい悲鳴です。そんな訳で気分良く6時45分頃、朝の散歩に出かけました。
ねねの道あたりを歩くと細道の向こうに京都のシンボル「東寺」が見えます。 “泉涌寺(せんにゅうじ)” 高台寺方面に行くと、もう人がいっぱいです。ほとんどの人が清水寺を見てこっち方面に歩いて来るらしい。外国人観光客もいっぱいで、結婚式の前撮りのウエディングドレス姿の花嫁さんもいました。秋の紅葉がようやく始まり、綺麗な朝の時間を過ごしました。7時15分頃宿に戻ると、おかみさんが優しく迎えてくれて、食事処に行くと1人の男性と一組のご夫婦が先にテーブルに着いていました。ゆば、ひき肉入りの団子、とろっと美味しい豆腐、季節の和物、どれもきめ細かいおかみさんのお料理を美味しくいただきました。8時30分頃、おかみさんに見送られ宿を後にしました。
まず泉涌寺(せんにゅうじ)に行きます。ここは皇室のお墓がたくさんあり、天皇、皇后、秋篠宮様などが法事の時など必ず見えられるとの事です。重みがある立派な建物、部屋、ふすま絵、庭が素晴らしかったです。次に「今熊観音寺」「悲田院」を巡り京都駅に行きます。10時55分発の列車に乗り、帰路に向かいます。 いろいろ見て周り楽しく過ごせて良い旅でした。


“福井城跡夜景”    福井・一乗谷浅倉氏遺跡・越前大野の旅          2023 年 10 月 19 〜21 日

関東地方はここ1週間連日ズーっと晴れ、それで安心していたら、日本海側、北陸方面は20日と21日は雨との予報!えー!とがっくり。でも大した事ないのを願って、元気に旅立ちましょう。

東海道新幹線ひかり643号   12:30発、米原行きの列車に乗ります。いつもながら、お弁当を食べてホッと一息します。いつもながら、車窓から富士山を眺めて、「やっぱりいいねー!」とうなずきます。次は豊橋、次は名古屋、そして米原にて乗り換えて、北陸本線白鷺9号、特急福井行きに乗ります。午後4時頃福井に到着。
福井の駅はもうすぐ新幹線が開通するにで、いろいろ開発されている最中で近代的な駅周りになっています。駅のすぐ近くに福井城跡があり、現在は市役所として利用されていて、城壁跡が綺麗に保存されていて立派です。そのすぐ近くに今回2泊するホテルがあります。 夕方6時半頃、城の夜景を見ながら、食事を予約してある店に出かけます。江戸前、吉野寿司にて、白子(ダダミ)の酢の物、炙りしめさばの酢味噌和え、アサリの酒蒸し、むつの照り焼き、など美味しくいただきました。 8時半頃にホテルに戻ります。今日1日で10510歩、結構歩きました。ゆっくりシャワーを浴びて11時頃、ベッドに入りました。

“一乗谷石門” 翌朝6時半頃、目が覚めて、外を見ると晴れて福井城跡が綺麗です。7時頃、ホテルの朝食、和食御前をいただき、8時頃ホテルを出発します。レンタカーを借りて「一乗谷朝倉氏遺跡」とナビに入れます。昼前から雨になる予報ですが、今朝は気持ち良く晴れています。一乗谷に向かう道はまだ通勤の車でいっぱいでしたが、その先に見える山々から太陽が眩しい位輝いています。道の両脇はすすきの穂がたくさん並び風に揺れ秋らしいです。
人里離れた谷間、一乗谷に、その昔、大きな街が栄ていたようです。戦国時代、信長に滅ぼされた朝倉城主の街全体が焼かれてしまい、そのまま残され近年発掘され、復元されて綺麗に整備され、名所になっています。 下城戸跡の石垣、唐門、諏訪館跡庭園、武家屋敷跡、広々とした庭園跡、など手入れが行き届き素晴らしかったです。
“唐門” その後、レンタカーのナビに「越前大野城」と入れ、車を走らせます。トンネルを抜けると、こんもり高い山が目に入ります。大野市の街中にある亀山という名のてっぺんにそびえる平山城が姿を現します。カッコイイ!城らしい越前大野城です!
城の真下に公園があり、そこに車を駐めます。そこから見上げると、真っ直ぐはるか上まで階段が続いています。上の方は霞んで見えません!「まさか!この階段を登るの!」と叫んでしまった。でも、今までいろんな山を登った時、一歩一歩何も考えずに足元見ながら登ったっけ。とりあえずやってみよう!と考え直した。フーフー息切れしてきた。途中、ちょっと休憩。休み休み登る。
後ろから登ってきた中学生の団体がすごく元気!その団体の男子の一人が「この階段、めっちゃ辛くないですかー!?」っと すごく辛そうに大声で私に言った。私もガッツリ頷いて「辛いよおー!」と笑顔で返しました。ようやく天守閣に到着「やったー!」。 “越前大野城跡” 半年前に行った犬山城と同じく、天守閣の外側に出る事が出来、ぐるりと城下町を見渡せます。とても気分が良くて、景色も綺麗です!城下町大野は碁盤の目に整備され、道路が太く広々としています。その中の七間通りは、江戸時代からの商店が軒を並ベて、現在も往時を偲ばせる街並みです。朝市などもあり賑やかそうです。
その一角の昭和の香りがする店でお昼を食べます。おろしそば、しょうゆカツ丼、さといも煮はここの名物で美味しかったです。そして、「百円ケーキ」というそそられるキャッチコピーの洋菓子店にて100円のショートケーキを4つ、でっち羊羹2つ、どら焼き2つを買いました。なんと箱代も入れて880円、うれしいー!車に戻りケーキを一つペロリ(笑)
その後、車のナビを「恐竜博物館」と入れ、出発です。しばらく走ると、ものすごく大きな建物が現れます。その中は近未来的な無柱空間で大迫力で、リアルな恐竜が居る時代にタイムスリップした様です。恐竜の大きさが体現でき不思議な気分になりました。恐竜は日本には居なかった、と昔勉強しましたが、この福井の勝山と言う所で、多く発掘され、新種の発見もあり、大変な事になったらしいです。
3時半頃、博物館を出ると・・外は雨・・降り始まりが予報より遅くて、今日の目的はほぼ果たせたので大満足です。4時頃、ホテルに到着します。 “恐竜B跡” 夕方には雨が止みました。夕食を取る為外出するので運が良かったです。今夜は洒落た洋食屋さんです。こだわりの6種の前菜、スープ、メイン料理(牛ステーキ)と赤ワイン。とても美味しくて感じの良い落ち着いたお店でした。店を後にして8時45分頃、ホテルに戻り、バスタブに湯を張り、のんびりして、11時頃ベッドに入りました。

翌朝、6時頃目が覚めたけど、うだうだして6時半頃ベッドから起きました。朝のひと時、空は晴れていましたが、8時20分頃ホテルを出発する時は小雨が降り始め、やや寒くなっていました。寒さは予測していたので暖かい衣類を重ね着してほっかほかでした。
8時55分発、金沢行き特急サンダーバードに乗ります。金沢で乗り換えて、北陸新幹線かがやき503号、上野行きに乗り、富山、長野、大宮と帰路につきます。今回は同じ駅を通らず、一筆書きのようにぐる〜〜っと回って帰ってくるコースです。日常から離れて楽しい旅でした。

“シャコちゃんパンフ”    青森・津軽・五所川原の旅          2023 年 6 月 22 〜24 日

天気予報によると、今日、明日は関東と東北は雨。そして24日は晴れ、との事。なんとひどい予報!でも、なんとかなるさーー!と、10時半頃、家を出で、東京駅に向かいます。空は曇りで雨は降っていないのでホッ!としました。東京駅はいつもどおり人が多く、特に今回目を引いたのが若い外国人の団体さんで、修学旅行かしら・・?と思ってしまいました。皆さん若いから元気でいいね。

東北新幹線はやぶさ55号   11:56発、の列車に乗り、新青森に向かいます。前回の旅と同じパターンでお弁当を食べてホッと一息します。午後1時半頃、仙台あたりです。雨は降っておらず、遠くの山が綺麗に見えます。次、盛岡を出た所に「岩手山」が見え、頭に雲がかかり残念だったけどすそが雄々しく綺麗に広がっています。
新青森駅に到着しました。3〜4年前に来た時より少し建物が多くなり、街らしくなっていました。ここでレンタカーを借りて「鶴の舞橋」に向かいます。向かう途中「岩木山」が目の前に現れ、こちらは頭がくっきりととんがり、凛々しくカッコ良かったです。鶴田町に入ります。
津軽富士見湖に掛かる「鶴の舞橋」は白い木製の長〜い橋で岩木山を湖面に映し、 “鶴が橋” とても綺麗で立派です。
夕方5時頃、五所川原のホテル、サンルートに到着です。 6時少し前、夕食を取る為、町に出ます。まず五所川原の駅の周りに行くと、店があまり無くてあってももうすでにシャッターを下ろしています。そこで駅とは逆方向に向かうと、いろいろ良さそうな店がありました。
寿司屋さんに入ると、カウンター席に常連さん3人と奥の座敷に4歳位の女の子の誕生パーティの家族が居ました。私達もカウンター席に座り、雰囲気が良い中でお刺身などをいただいていると、隣の席の人が「青森には、どのような感じでこられたのですか?」と話しかけて来ました。 その後はいろいろな会話が盛り上がり、店主も加わり皆さんと切れ目なく話が出来て楽しかったです。9時頃店を出で、ぶらぶら歩きながらホテルに戻ります。ホテルには温泉があるので行ってみると、他に客も居なくゆったりと湯に浸かりました。気持ち良く部屋に戻ったところで、寿司屋で作ってもらった「お持ち帰り」を食べると、もう満腹で、その後すぐベッドに入り眠ってしまいました。

“巨大シャコちゃん駅” 翌朝、6時半頃起きて、昨日コンビニで買った野菜サラダ大盛りとフランクフルトパンを食べて、ホテルを出発します。今日も雨は降ってません、良かった!
この辺りは遮光器土偶が出土した縄文のふるさとで、あちこちで遮光器土偶の看板が立てられています。まずはお土産に遮光器土偶をかたどったお菓子「シャコちゃんサブレ」(遮光器だからシャコちゃん)(笑)を買いに菓子店に行きます。
その後、木造駅に向かいます。駅の建物にはどでかい「遮光器土偶」が造られています。私達が写真を撮っていると、駅の人が、土偶の目が七色にキラキラと光るようにしてくれました。普段は電車が来るとこの土偶の目が光る仕組みになっているそうです。 次に、つがる市縄文住居展示資料館「かるこ」に行って遮光器土偶を見学しました。
次に、木造亀ヶ岡考古資料室を見学し、縄文遺跡案内所に行き、シャコちゃん広場南隣接地に行くと、遺跡が出土した所を案内してくれましたが、そこはもう野原や森林のようになっていて、どこが出土した所か分かりませんでした。
“亀ヶ岡遺跡” その後「十三湖」に向かいます。雄大で静かな湖を少し散策して、湖畔の「和歌山」という店に入り、名物「しじみラーメン」を食べました。しじみがたっぷり入っていて、シンプルでスープもおいしかったです。外に出ると・・・空が・やはり、ぽつぽつと・・雨が降って来ました。でもここまで来たので予定通り「竜飛崎」目指します。途中、「7つ滝」が右手にあり雄大でした。 半島の先端までの道のりはほぼ1時間位で、雨がだんだん強くなって来ました。海沿いの道と山道のヘアピンカーブが厳しくて、おまけにガスってきて大変危険でした。とうとう先端に到着しました。「階段国道」をチラッと眺めて、雨がひどいので、すぐさまとんぼ帰りです。竜飛崎にはまた今度来よう!「リベンジ旅」に期待します。
次に行く場所「大平山元遺跡」までナビに入れます。段々と雨が弱くなって、ほぼ止んできた頃に現地に着きました。展示物は元小学校を利用して親しみのある感じです。建物のすぐ近くに掘り出し現場があり、まあるく土が残してあります。ここから出土した土器片が現在の所「日本最古の土器」で「旧石器から縄文時代への移行期」の文化を知る重要な遺跡だそうです。ロマンですね〜〜
その後、レンタカーを返しに新青森に向かいます。無事返却して、電車で青森駅まで行き、今日の宿JALホテルに行きます。夕食まで少し時間があるので、部屋のバスタブにお湯を張って、ゆっくり温まります。5時半頃、夕食を取りに外出します。
今日もお寿司屋さんです。6時きっかりにお店に着き、ちょうど空いていたカウンターの真ん中の席に案内していただきました。 “大平山元遺跡” 店主はとても優しくて明るく接してくれます。私達がにぎり寿司を堪能していると、両隣の席に一人、また一人とこの土地の常連さん達が座ります。そしていつの間にか最近の色々な出来事について大笑いしながら話が弾みました。とても楽しかったです。気分良く店を出て、9時頃、ホテルに着きました。そして今夜も知らないうちに寝てしまいました。

翌日、朝6時半に起きて、7時頃外出します。近所の喫茶店で何十年ぶりにモーニングコーヒーを注文します(厚切りトースト茹で卵付き¥480)安い!美味しい!店は昭和レトロ満載!子供の頃身近あった、昔懐かしい品物に囲まれて朝食をいただきました。7時40分頃、部屋に戻り、8時頃、ホテルを出発します。すぐ近所の青森駅に歩いて行き、新青森駅から8:37発はやぶさ14号、に乗り、帰路に向かいます。
今回の旅は途中雨に降られたけれど、予報よりまずまずの天候だったし、地元の人と楽しく触れることが出来て新しい発見がたくさんあった旅でした。

“京都の階段”    京都・祇園四条・ねねの道の旅          2023 年 5 月 18 日

今日は上天気、真夏日です。10時30分頃家を出て、東京から11時39分発の新幹線特急のぞみに乗り京都に向かいます。今回も車内でお弁当を食べて、ホッと一息します。車窓から遠くの山がかなりガスってぼんやりしていたので、今日は富士山は無理かな?と半分諦めていましたが、「見えました!」美しい雪を頭にのせた雄大な姿を見せてくれました!
13時51分京都に着きました。地下鉄に乗って、四条で降り街中をぶらぶらして、老舗の箸専門店でとても軽く使いやすそうな箸を四膳買いました。四条大橋を渡り、四条通りを歩くと、正面に立派な八坂神社の赤い鳥居が見えます。修学旅行の学生や観光客でいっぱいです。
八坂神社の右側の坂を登ると、人が少なくなり、明治45年、迎賓館として建築された「長楽館」がありました。立派な洋館でゴージャスな部屋で紅茶を飲みちょっと休憩します。
長楽館を出て歩いて少し行くと、閑静な京都の裏通りの様な細い路地に風情溢れる小さめの家がそっと並んでいます。
そこに今日の宿「寿栄屋」(すきえや)がありました。ちいさな玄関で見逃してしまいそうです。優しいおかみさんが出迎えてくれました。落ち着いた昔ながらの日本家屋で、旅館よりひとつひとつがこじんまりとした造りです。
部屋に通してくれてすぐ後にいただいた、冷たい麦茶とおかみさん手製の大粒のほんのり甘い梅干しがとても美味しかったです。 “デユランの道” 「寿栄屋」の隣は「ねねさん」が晩年暮らした「円徳寺」の庭があり、今夜泊まるこの部屋の窓から借景となっています。「高台寺」もすぐそこにあり、この辺りは「ねねの道」と呼ばれています。

夕方4時頃、夕食の予約をしてある店に向かう為出かけます。タクシーに乗ると、運転手さんが話出します。この時期中学生の修学旅行の案内の仕事が多く、色々思考を凝らして、若者にウケる話を仕入れているとの事を笑を交えて楽しく語ってくれました。町では所々、はっぴ姿の若者が集まっていてお祭りの準備をしている様子がウキウキとこちらに伝わってきます。
5時頃、千本通中立売にある「神馬」(しんめ)というお店に着きました。サクラマスの木の芽焼き、とりがいの刺身、若竹煮、よこわ(本マグロの稚魚)の刺身、たい頭の酒蒸し、きずしなど旬の食材を出してくれ、お店の人の対応も感じ良くて美味しかったです。
神馬を出て、少し行くと中華料理屋さんがあり、水餃子と団子の餃子も頂き満腹でお店を出ます。6時半頃、千本出水からバスに乗り、河原町三条にて下車、花見小路から路地に入る。 宿のおかみさんが「ぽんとちょうにもちょっと寄ってみると良いですよ」と言っていたので、行ってみると、 “知恩院大門” 細〜〜い不思議な道があり、人がひとり通れる位の狭い所に店がビッチリ並んで居ます。それがアチコチに広がっている迷路みたいで楽しかったです。このあたりから外国人観光客がいっぱいになりました。
どんどん行くと、また人が少なくなり、閑散としてきた所に宿がありました。「お帰りなさい」というおかみさんの声にまた癒されます。その後お風呂にゆっくり浸かり、部屋でくつろぎ布団に横になりました。

翌日朝6時に今までに聞いたことが無い可愛い鳥の声で目が覚めました。
あいにく外は雨でしたが小雨だったので、7時頃、散歩に出かけました。最近ちょっと評判になっている「青もみじ」が雨に濡れてきれいです。ちょっと歩くと「知恩院」がありました。 “宿の朝食” 大きな中央階段には中学生が修学旅行に来ていて、その階段に全員が並び記念撮影をしていました。おかみさんがすすめてくれた右側の階段を登りゆっくりと中に入りました。知恩院は大きくて素晴らしく立派でした。小雨の中でしっとりした京都らしい佇まいでした。

7時45分頃、宿に戻ると、「朝食をどうぞ」と1階の居間に通され、もう1組のお客と一緒にいただきました。京野菜をふんだんに使った小鉢がいっぱいです。豆腐、ゆば、和物、中に鳥のひき肉が入っているおまんじゅう、おしんこ、など手が込んでいる綺麗で美味しい朝食でした。おかみさんの楽しいお話と一緒に嬉しい時間を過ごしました。9時頃、宿を後にしました。
その後、「清蓮院」に行きます。天皇はじめ皇族の宸殿だそうです。靴を下駄箱に入れて、建物の中を見学します。建物が広くて、格式ある襖絵など見事でした。粟田山の山裾を巧みに利用して作られた庭園が素晴らしく良かったです。雨がなければ庭を散策するのだけれど、今回は縁側に腰をおろして庭を眺めました。 “青蓮院の庭”
その後、粟田山神社をお参りして、地下鉄2駅乗り、京都市役所付近をフラフラして、夕食用のお弁当を買い、中華料理店で昼食を取りました。京都駅に着くと観光客でいっぱいです。出発まで1時間ほど空きがあるので、駅のホテルラウンジの奥の奥(ここは人が少ない)の喫茶店にて一休みして14時30分発の列車に乗り込みました。あっと言う間でしたが楽しい旅でした。

“犬山城昼”    岐阜と愛知・犬山城への旅          2023 年 4 月 20 日

昨日から急に初夏の様な天候になったので、服を冬っぽいセーターから急きょ薄いシャツブラウスと毛糸のベストにしました。10時30分頃家を出て、久しぶりに東京駅に着くと、さすがに人でごった返しています。外国人観光客も大勢いて、物凄い活気です。私も旅に出られて嬉しい気分になりました。
11時39分東京発、のぞみ347号新大阪行きに乗ります。列車が動き出すと、さっそく東京駅で買った寿司と中華弁当をもぐもぐと食べ始めます(失礼します)。しばらくすると、進行方向右手に堂々とした富士山が見えます。時々雲に隠れてしまうけれど、またすぐ顔を出して「私はここに居ます、安心してください」と言っている様です。
すこし進むと右手に浜名湖が見えて、名古屋駅にて下車します。
そして名鉄、新鵜沼駅行き13:27発に乗り30分位で犬山駅に到着します。犬山駅から30分歩くと、晴天で日差しが強く汗が出て、途中で毛糸のベストを脱ぐとスッキリしました。そこから直角に曲がりまた30分、歴史ある城下町の街並みは趣がありどこか懐かしさが漂っています。 途中入った「どんでん館」は歴史の成り立ちや祭りの山車などが展示されていました。「からくり人形館」は人形の内部が展示され、動きの仕組みが分かり、素材が木製でゼンマイ仕掛けがサメのヒゲを使っている所がすごいな!っと思いました。
あちこちを見ながら街道を歩くと、いよいよ目的の「犬山城」が目の前の小高い山の上に見えます!小さいけれどがっしりとした立派な天守閣です。ゴツゴツした幅の広い石段をふうふうしながら登ると入り口がありました。 “からくり館” 城の入り口で靴を脱ぎ、すぐの所に急勾配のはしごの様な階段あり、ここを登ります。 城の階段はどこでもこうだから覚悟して一歩一歩登ると、やはり体力は落ちているな!と感じました、トホホ。四階建ての天守閣の最上段に登ると、やったー!と言う気分です。 そこから外に出る事が出来て、いわゆるベランダみたいな廻縁がありぐるりと歩けます。とは言え木製で傾いて少々危ない感じでヒヤヒヤしました。でも眺めは素晴らしかったです。東西南北、遠くの尾張富士、小牧山城や犬山市と木曽川の流れが眼下に広がりゆったりとしていました。
城を出て脇の川沿いの遊歩道を歩くと、青葉が繁り気持ちが良い所です。主流の木曽川に出ると、向こう岸に今日泊まる「みづのを旅館」が見えます。 橋を渡り、午後4時頃宿に到着しました。 洒落た和風旅館で廊下も全て畳敷で素足で歩けます。 部屋からは木曽川がすぐ下にあり鴨が10羽ほどゆっくり浮かんでいます。そして向こう岸の小高い丘の上に、今登ったばかりの「犬山城」が見えます。
さっそく温泉に入ると、ここからも視点が変化した同じ景色が眺められます。露天では鴨が間近に見えました。 自然と一体化している様です。
“犬山城夜” 6時から夕食です。3階窓側の席で、ここからも視点が移動した同じ景色が眺められます。岐阜の名酒をいただきながら、刺身やすき焼きなどゆっくり味わっていると、いつの間にか「犬山城」がライトアップされていました。とても綺麗です。8時頃、部屋に戻り、満腹だけど窓辺のテーブルにちょとしたおつまみとお酒を置き、部屋の電気を消してライトアップした「犬山城」を眺めながら過ごしました。

翌朝、目が覚めると6時です。また一人でゆっくり温泉に浸かりました。朝食をいただき、9時頃宿を出発します。
今日は明治建築を保存展示している「明治村」を散策する予定です。犬山駅から専用のバスに乗り、30分位で明治村に着きました。 高校生がたくさん見学に来ていてとても賑やかです。村に入ると、村巡りのバスが待っていて、私の様な年配者がすでに大勢乗っています。高校生はいません(笑)そこに加わり出発します。バスの音声ガイドが一つ一つ外の建物の説明してくれるので、パンフレットを見ながら外の景色と照らし合わせます。
終点でバスを降りて、今度はめぼしい所を個人で歩いて回ります。 「帝国ホテル中央玄関」は石の彫刻、レンガの彫刻、凝った木製の窓枠、堂々たる建物です。その後、当時、東京都中央区にあった「川崎銀行」の屋上に登ったり、京都市にあった「聖ザビエル天主堂」を見学したり、明治時代の平民の暮らしぶりが分かる、駄菓子屋、銭湯「半田東湯」や大阪の劇場「呉服座」など見学しました。三重県伊勢市に有った「宇治山田郵便局」は正面の丸い建物がかなりモダンで良く出来ていると思いました。
この敷地の中で、SLに時間が合えば乗れるのですが、時間が合わず見送りました。今日、ここに来ている高校生は1000人だそうで、皆でソフトクリームを食べてとても元気でした。
11時30分発のバスに乗り、明治村を後にします。
“宇治山田郵便局” ちょうど12時頃、犬山駅に到着しました。昨日「犬山城」に行った道をどんどん歩き、途中、犬山城の方へは曲がらず、名物の田楽を食べに「松野屋」へ向かい、その後もまっすぐ25分位行きます。
ちょっと町外れになった感じの所に人が並んでいる店がありました。 外で30分位待ってようやく中に入れました。 現れた「田楽」は小豆色の塗りの入れ物にズラーっと10本二又に分かれた串に刺されて並んでいます。甘味噌が香ばしく焼かれて美味しかったです。待った甲斐がありました。 セットになっている「菜葉飯」に乗せて食べても「汁物」をかけても美味しい庶民の嬉しい味です。
満腹になり、また犬山駅まで歩きます。今日この時点でスマホの歩数をチェックしたら10600歩でした。結構歩いたね〜〜。
そして名鉄電車で名古屋まで行き、帰路に向かいます。天候に恵まれて「犬山城」を満喫した旅でした。

“高田駅縦広”    長野から新潟・上下浜への旅          2022 年 11 月 30 日

11月の最終日、これから向かう新潟はあいにくの曇り所により雨、明日も雨でとても寒くなるとの天気予報です。そんな訳で真冬の防寒姿にて出かけます、でも関東は暖かく、最寄り駅の本八幡についた頃にはダウンコートとセーターを脱いでしまいました。
10時32分東京発、上越新幹線はくたか559号金沢行きに乗ります。今回も母を兄に見てもらい、感謝しつつ出発します。車窓からは所々陽が当たり銀杏の黄色が鮮やかです。高崎駅付近では左手遠くに山が見え、どんどん近づいて来ます。その奥にそびえる浅間山を見ながら、列車は直角に梶をとり進みます。そしてトンネルに入り軽井沢方面へ向かいます。軽井沢駅を出発してトンネルを出ると、今度は進行方向右側にさっきの浅間山が頭に雪を乗せてド迫力の大きさで現れます。
“駅付近商店街” その後、上越妙高駅にて乗り換え、高田駅にて下車します。 駅の建物はおしゃれでレトロで、駅周辺の商店街も駅と同じパターンで統一されています。その道を進むと昭和の懐かしい家々が並んでいます。どの家も2階から屋根の上にハシゴが固定されて不思議でしたが、雪の多い所なので雪下ろしの為だと気がつきました。 その後、お昼を食べようと料理店に入ります。「デカ盛りオムライス」が名物のようで一人分3合のお米を使っているようです。私達は普通のオムライス(普通でも大きくてびっくり)とトン汁ラーメンを食べました。トン汁ラーメンも初めて口にした味でじゃがいもではなく豆腐が入っていて汁が独特で美味しかったです。
“高田城跡公園”
気分良く店を出たのですが、ほんの少し雨が降って来ました。あれ?予報よりちょっと早いんじゃない・・と思いつつ歩き始めました。でも徐々に雨風が強くなってしまい「これはダメだ」と喫茶店で雨宿り・・美味しいコーヒーを飲みました(ホッ)
30分ほどして小降りになったので高田城跡公園に行って見ました。 徳川家康の六男、松平忠輝公の居城として造られたそうです。もみじが真っ赤に色づいていたので、晴れていたらさぞかし綺麗だったでしょう!と思いつつ広い公園を歩きました。歴史が息づく城下町をぶらぶらしながら、高田駅方面に向かいます。 駅近くに行くと、150年続く100年料亭「宇喜世」(うきせ)がありました。今も営業している古い木造3階建ての立派な外観です。日本らしさが確実に受け継がれ根付いています。
“150年料亭うきせ” その後、高田から信越本線に乗り、直江津で下車して付近の名所を見ようと思いましたが、また強い雨になってしまい諦めました。残念!今夜の宿、上下浜駅へと向かいます。

冷たい雨の中やっと宿にたどり着き、お風呂にゆっくり浸かると体がポカポカになりました。いよいよ夕食です。 日本海に面したお食事の館「わすけ」は旬の地魚料理が自慢の民宿です。始めに五種類の利酒を楽しみます。 そして上越特産の「お刺身各種」、名物元祖「イカスミコロッケ」、大皿山盛り「紅ズワイ蟹」や「ふぐ鍋」など盛りだくさんお腹いっぱい美味しくいただきました。

ズワイ蟹” 翌朝6時頃目が覚めて、7時頃食事処へ行くと、先代のご主人がお給仕をしてくれます。「今、お料理は全部息子に任せているが、食材の野菜はすべて自分で作った畑の物です。味噌も自家製です」と、色とりどりの野菜が入ったお味噌汁を運んでくれました。とても美味しかったです。
9時に宿を出発する時、庭で実った柿をお土産に持たせてくれました。とても感じが良い宿でした。
タクシーを呼んでもらい上下浜駅の隣の柿崎駅へ行きます。空はどんよりして今にも雨が降りそうです。運転手さんは「雪も嫌だけど風が強いのがねぇ・・」と大変な現状を話してくれました。 柿崎駅を9時38分に出発して長岡へ向かいます。向かう左手がずぅーっと寒々しい荒涼とした日本海が続きます。
長岡発10時47分新幹線とき326号に乗り、車窓には山々が迫り冬の足音が近づいています。11時10分新潟に着きました。街に出ると、雨は小降りですが、さすがに寒く、思わず手袋をはめました。新潟は大都会で大きなビルが並んでいます。歩いていると、平屋で屋根が低い長屋のような面白い建物を見つけました。その中の寿司屋の店主がちょうど看板を出していたのでここでお昼を取る事にしました。 “日本海” 客は私たち二人で店主と店の建物の話やおすすめスイーツ、ル・レクチエの話などしてほのぼのした食事をしました。

その後、老舗菓子店や老舗海産物店にてお土産を買って帰路に向かいます。天候に恵まれなかった旅でしたが日常から離れて土地の人と話ができて楽しい2日間でした。

“きききの吊り橋”    一戸・二戸・十和田市の旅          2022 年 6 月 29 日

連日35度の猛暑と熱帯夜が続く関東地方から岩手へ一泊の旅に出発します。今回も母を兄に見てもらい感謝しつつ家を出ました。
10時20分東京発、東北新幹線はやぶさ17号新青森行きに乗ります。仙台、盛岡に進むにつれ、空の雲の形が変わります。半分晴れてて、遠くの山々が綺麗に見えます。左手奥に頭に雪を残しているのが栗駒山です。そう言えば今朝の岩手の天気予報は曇り時々雨です。もうすぐ目的地の八戸ですが、雲がだんだん厚くなって来ました。でも駅から外に出ると、曇りで丁度良い25度前後の涼しさです(嬉しい)。そこでレンタカーを借り、一戸の「常前ラーメン」と言うレトロな店で昼食をとります。昔ながらの麺で奇を衒う事が全く無い絶品でした。 “縄文公園” このレトロな街並みをぶらぶらすると4月に行った中津川の街並みの様に昭和の香りがして懐かしさがいっぱいです。

その後、「御所野縄文公園」に行きます。入り口にある「きききの吊り橋」は不思議なトンネルになっていて縄文の村への架け橋の様です。トンネルを抜けると、まず、屋根の上に土を乗せて草が生えている自然と一体化した博物館があり、そこを一回りします。 そこから外に出ると、三つ葉とれんげが密集して生えている芝生のような柔らかな里山に、いくつもの竪穴建物跡が現れます。実に良く考えられ計算されて建てられています。縄文の文化は優れてますね。広々とした里山の周りは背の高い木が鬱蒼と茂っています。人がほとんど居ないので、私は思わずマスクを外し自由に歩きました。わ〜〜気持ち良い! “天皇の食卓”

縄文公園を後にして、今夜の宿に向かいます。この辺りは不思議な座敷わらしの伝説で有名です。金田一温泉の「おぼない旅館」は歴史ある旅館で江戸時代、寛永3年、南部藩の指定の湯治場だったそうです。若女将は1歳と3歳の男の子のお母さんで、明るく楽しく私たちを接待してくれます。温泉は「侍の湯」と呼ばれるとろりとした湯です。湯に入った後、夕食を取りに大広間に行くと、びっくり!金屏風の前に重厚で細密な木彫のゴージャスなテーブルと椅子が鎮座して、その上に二人分のお料理が並んでいます。「えっ!ここ、私たちですか?」と聞くと、若女将はにこにこして「はい!」と答えます。 “つばめの見送り” 平成の天皇と皇后がタイに行った時に使ったテーブルと椅子だそうです。お料理は皆とても美味しく、お腹いっぱいで最後の炊き込みご飯はおにぎりにしてもらいました。
その後、8時30分玄関集合で近所の馬渕川へほたるを見に行きます。宿から歩いてすぐの所に川があり橋を渡るとキラキラするほたるが一つ、少し進むとだんだん増えて、2〜30匹ほど可憐な光を放ってました。小さいお子さんも一緒に来ていたので、皆んなで喜び楽しいひと時でした。夜9時半頃にベッドに入り(早いね〜年寄りだから・・笑)爆睡でした。 “外の立体作品”

翌朝6時に目が覚めて風呂に入り、気分爽快です。今日は二戸から青森に向けて8時30分出発します。昨日は八戸から九・一・二戸、今日は三戸から五・六・七・八戸と戻る、おもしろい所です。宿の玄関の天井につばめの巣があり、梁に可愛い子つばめが6羽並んでとまって、若女将と一緒に私達を見送ってくれました。今日も曇り時々晴れです。空は白とブルーでとても綺麗です。森の先の奥に美しい山々が連なっています。八甲田山かしら?・・
9時45分、十和田市に入りました。 “スタンディング・ウーマン” 十和田市現代美術館は十和田市のメインストリートあり、美術館前の広場や通りにも大型の立体作品が展示されて開放的な空間構成になっています。 建物に入るとすぐ、あの例の大きなおばちゃんが居て、高さ約4メートルという非現実的なスケールで圧倒され思わず一歩後ずさりしてしまいます。でもすぐ魅了されて凝視します。2008年にここが開館された頃、テレビで取り上げられ、この「スタンディング・ウーマン」の彫刻像を興味深く見ていました。でも十和田は遠く気楽に行くことが出来ずに機会を逸していました。まさか今回本物を見られるとは思っていなかったのでやっと願いが叶い感動しました。常設作品だった事に感謝します。
その他の作品も一つ一つ素晴らしく緻密だったり、大胆だったり、意表を突いていたり、面白く廻りあっという間に1時間30分経ってしまいました。
その後、八戸13時7分発の新幹線に乗り帰路に向かいました。二日間、ずーっと晴れ時々曇り天候に恵まれ体に優しく気持ちよく過ごせました。

“苗木城”    岐阜・中津川の旅          2022 年 4 月 20 日

前回の青森の旅から2年と3ヶ月!久しぶりの夫婦二人1泊の旅です。母を兄の所に預かってもらえたので感謝しつつ出発します。
北陸新幹線かがやき509号金沢行き、東京10時24分発に乗ります。朝、あいにくの小雨でしたが、軽井沢あたりから急に晴れて遠くの山々が見え始めます。長野駅にて篠ノ井線に乗り換えます。車窓からの眺めは素晴らしくて、連なる山々の奥に壮大な雪山が輝いています。夫のおすすめスポット北アルプスです!美しい山々を堪能した後、中津川駅で下車します。
昼食はちょっと変わった店(外見が美容院みたい、内側もとても中華料理とは思えない造りです)ここで名物の焼きそばとチャーハンを食べます。焼きそばは太めで5〜6センチ位にブツ切りになっていてもやしが一緒に炒めてあり醤油味で悪くない味。麺ともやしが色と形が似てて区別つかず箸でつかみにくくて笑ってしまいます。チャーハンは見た目は普通でしたがふっくらしていて、ベタベタしていなくてとても美味しかったです(ホッ・・)

その後レンタカーを借りて苗木城跡に向かいます。中津川市内を東西に流れる木曽川の右岸、標高170メートルの山城です。頂上までの碧道を一歩一歩登っていくと、巨大な石があり、巨大な壁があり、在りし日の苗木城は日本版「天空の城ラピュタ」のようで絵本の世界です。天守閣は今は無く展望台になっていて、そこからの眺めは素晴らしく、市内と恵那山が望めます。
“岩村駅” その後、明知鉄道の恵那駅に寄ります。NHK 朝ドラの舞台になった所で駅も何度も映ったとか・・・(そのドラマ見てたのに駅を全く覚えてないです、トホホ)その後、明知鉄道の岩村駅に行きます。駅があまりにもちっちゃくて可愛くて健気なので魅了されました。ここから始まる岩村本町通りは少し登り坂で昭和初期さながらの昔懐かしい商店や民家がズラ〜〜っと連なり、今もなお人々が自然に暮らしている、心惹かれる街並みです。ここを眺めながらたどり着いた先が今日の宿「岩村山荘」です。
“岩村城”
夕方5時40分頃到着した宿は蔵造りのような純和風のどっしりとした造りです。私は早速一人でのんびり温泉に浸りました。6時30分頃大広間にて夕食です。お客は三家族です(密じゃ無いですね)囲炉裏付きテーブルとイスで、炭火でイワナを串に刺して焼いてくれます。飛騨牛、三浦豚、恵那地鶏、山菜の天ぷら、魚のお造り、など盛りだくさんでお腹いっぱいで美味しかったです。

翌朝、6時に起き、6時半頃、徒歩で宿を出発します。いよいよ今回の旅のメインイベント「岩村城跡」を登ります。海抜717メートル、高低差180メートルの天然の地形を巧みに生かした山城です。霧の湧きやすい気候で別名「霧ケ城」とも呼ばれています。苔むした石垣、所々美しい枝垂れ桜、高くスキッとまっすぐ伸びた杉並木、石畳の急勾配の登り坂を一歩一歩前進します。 城跡の天辺に着いた時は久しぶりの達成感を味わう事が出来て気持ち良かったです。 そこから下に広がる街や向こうに連なる山々の眺めが素晴らしく、当時の人の思いが心に染みるようです。“中山道”
1時間10分位後に宿に戻り、ちょうど8時に朝食をとります。そして9時頃車にて出発します。昨日は車で通っただけだった岩村本町通りを今日は歩いてもう一度ぶらぶらします。その後、中津川市内の大きな老舗が連なる商店街やいにしえ漂う旧中山道を散策して、中津川駅13時6分発特急名古屋行きに乗ります。名古屋で品川行きに乗り換えて、帰路に向かいます。充実した二日間でした。

   久しぶり再びの鴨川          2022 年 3 月 16 日

なんと・・なんと、前回の青森の旅から2年と2ヶ月!ずーっと自粛の日々(涙)・・やっと小さな1泊の旅に出かけました。コロナ第6波がやや下火になり我が家三人ともワクチン接種が済んだので気分転換したいと思いました。
母の体力を考えて車でゆっくり12時頃に出発します。空は薄曇り、千葉方面、京葉道路に進みます。市原パーキングでちょっと休憩。その後君津「はちみつ工房」にて試飲、試食します。色々な種類がありそれぞれ美味しかったです。その中で「はちみつ酒りんご」を購入。その頃から薄曇りから晴れになりポカポカ暖かくコートはいりません。 あちこちに菜の花が咲いて黄色が眩しい中、ところどころに桜も咲いています。南房総らしい景色を眺めながら、今日の宿「鴨川館」に3時頃に着きました。昔からある老舗旅館で大きく立派な建物です。 私たちの部屋は3階で、窓の外は雄大な太平洋が迫っています。 “鴨川館”
早速母を支えながら1階の大浴場に入りました。露天も3種類あって気持ちよかったです。9階のプール風呂は露天になっていて湯に浸かると、海と風呂の水面が一つに繋がり境目が無くて雄大で不思議な景色に包まれます。
夕食は食事処の個室で7時から9時までゆっくり海の幸をいただきました。夜11時半ごろ地震がありびっくりしました。宮城沖が震源地だったそうです、怖いですね。
翌日6時頃目覚めて、朝風呂に浸かりリフレッシュしましす。その後、部屋にて朝食を済ませ9時半頃、旅館を出発します。今日もポカポカ天気です。車窓からは向こう奥に山々が重なり、手前には日本家屋が並び昔ながらの穏やかで平和な心和む風景です。途中道の駅で新鮮野菜を買って帰路に向かいます。
クレヨン” 現在は新型コロナ禍で自粛中、残念です!・・・そんな訳でサブコーナーを作りました。

  あおぞらクレヨン
   見たり、聞いたりした事など、ポツポツ  つづっていきます。

ちびクレヨン”  マイケル・ジャクソン  『ヒール  ザ  ワールド』
      ラジオ英会話「What's This Song?」第4弾 ♪  Let's sing together!  ♪

先日番組で紹介された、1991年のヒット曲です。
マイケル・ジャクソン、と言えば「スリラー」など思い出し、シャウトする歌声、キレッキレのダイナミックなダンスやムーンウォークが印象的です。当時、世界が支持し熱狂しました。
そのイメージとは少し違う「ヒール  ザ  ワールド」はマイケル・ジャクソン自身による作詞、作曲で、人生や世界の問題をテーマにしています。透き通るハイトーンの憂いを含む歌声は聞く人の心に染み渡ります。 “集まる子供達”
曲の内容は
「引き継がれていく命について考えて
そして『もっと素晴らしい世界にしたい』と言って
子供達と、その子供達の子供達のために・・・」
「恐れのない世界を作ろう
 僕らはともに幸せの涙を流そう
 国がその剣を鍬に持ち換えるのを見よう」
(和訳の歌詞一部引用)
マイケル・ジャクソンがこの曲を発表した頃も世界各地で戦いが起きていました。人間によって自然が破壊されていました。私はそのニュースを耳にしていたのですが、恥ずかしながら深く知ろうとしませんでした。そしてとうとう今年2月24日にロシアがウクライナに侵攻しました。その後は連日の報道に胸が痛い思いです。どうか1日も早く停戦しますようにと心から願っています。
今まさに「ヒール  ザ  ワールド」を世界中の皆で合唱できたらどんなにか素晴らしいでしょう! (2022/3/14)

ちびクレヨン” スティーブ・ジョブズの  最後の言葉  
先日、友人からスティーブ・ジョブズ氏の動画が送られて来ました。
ビリージョエルのオーネスティという曲がバックに流れると共にそこに表れるのは、2011年に56歳という若さで亡くなる前のジョブズ氏(以後、敬称略で書かせて頂きます)の最後の言葉でした。それは本当にジョブズらしい真に迫る心の叫びとなり、今を生きている私達の心にもズシンと響くメッセージになっています。(これは、ジョブズの後継者のティム・クックに残した言葉だそうです。)

この動画を見て、私は一瞬の内にあの良き頃に飛んでしまい、ジョブズの新製品を発表する姿が脳裏に広がりました。1999年、アップルコンピュータは「iMac」新色5色を発表しました。 “スティーブ・ジョブズ” 「あなたのお気に入りの色はなんですか?」と言う斬新なキャッチコピーと、カラフル5色のスケルトンボディのiMac がモンキーズの曲と共にくるくると回る明るいCMには驚かされました。その時、私は長い間欲しかった初めてのパソコンをやっとの思いで手にする事が出来て、とても嬉しかった事を覚えています。

だいぶ時が過ぎ2013年「スティーブ・ジョブズ」という映画を見ました。 「そいつはクールだぞ」「世界に革命を起こす」など彼の言葉と共に若き日のジョブズに焦点を当てた映画でした。1976年、自宅ガレージで起業し、ある日ジョブズが何かに閃いて家庭用のコンピュータの原型の一部を作り始めます。その時、親友に助けてもらうシーンで「悪いな手伝わせて、助かるよ」すると親友が驚いて「冗談だろ!楽しいよ!ただでもやるよ!」若い彼らは生き生きと突き進みます。その姿が魅力的でした。
その後も私はずっとiMacで、今はMac Book Pro13を愛用し、あれこれ自分の出来ることを楽しんでいます。これからもヨロシク!(2022/2/11)

ちびクレヨン” 私の「ろう梅 物語」  
44年前に私がここ市川に来て以来、 “ろう梅の花” 猫の額のような我が家の庭は、母(夫の母です)の独壇場になっています。背の高い木の枝は夫がその時々にバッサリと切り落としていますが、背の低い木々や地植えと鉢植えの花々は、何の統一性も無く、所狭しと増え続けています。
そんな訳で私はノータッチを決め込んでいました。
けれど私が手をかけた事がひとつあります。
それは11年ほど前に友からもらった「ろう梅の種」から始まりました。植木鉢に12粒の種をまき、芽が出た時は感動して「ろう梅日記イラスト入り」をホームページに載せたりしました(親バカですねェ)
4つ芽が出て、双葉が開いて背が20センチ位に育ったので、庭の隅っこにひっそりと植えました。最初の1〜2年は他の植物をかき分けて「おお!少し育って来た」と確かめていましたが、そのうち母の背の低い木々が茂り取り囲まれ、全く見えなくなってしまいました。
そんな日々が過ぎ、さすがの母も年齢的な事もあり、最近はパッタリ庭仕事をしなくなりました。 “ろう梅日記” その為、夫が伸び続ける木を切ったり多すぎる植物を整理したりしてくれました。そうこうしていると、な、な、なんと昨年末、初めて可愛い花をつけました。「エッ!!私のろう梅が咲いている!」11年と言う長い間、私の手が届かず、申し訳なく反省してますが、1歩づつ着実に成長してくれて嬉しいです!自然の力強さに感服してます。ありがとう!
(2022/1/7)

ちびクレヨン” 「世界で一番貧しい大統領」ホセ・ムヒカの言葉
少し前、私はテレビでウルグアイの元大統領ホセ・ムヒカを見ました。
1時間ほどのドキュメンタリー番組でしたが、感動で胸がいっぱいになりました。
ムヒカ(敬称略で書かせて頂きます)の演説は聞く人を魅了し引き込みます。

例えば、ムヒカはリオの「地球の未来会議」でこう語りました。
「私達は、もっと便利でもっと良いものを求めて、驚くほど発展しました。でもそのせいで、ものをたくさん作って、売って、儲けて、儲けたお金で欲しいものを買って、さらにもっと欲しくなって、もっと手に入れようとする。どこの国のどこの人々を利用したらいいだろうか、と世界を眺めるようになった。人より豊かになる為に情け容赦ない競争を繰り広げている。
貧乏とは少ししか持っていない事ではなく、限りなく多くを必要とし、もっともっと欲しがる事です」と。(一部抜粋しました)
特にこの話の中で惹かれた言葉は「足るを知る」ですが、これは日本のことわざで、「足るを知る者は富む」出典は老子です。ムヒカは近いたとえで古代ギリシャの格言を用い語りました。「多くを求めるな」「過剰の中の無」と言うのがあるそうで、日本のことわざに良く似ています。ムヒカは「貧しい」の本来の意味を知っているのです。

そして日本の若い人たちには、こう語りました。
“ムヒカの言葉” 「覚えておいてほしいことは、人間は集団で暮らす社会的動物だということです。一人では生きていかれません。だからこそ人々は文明を築いてきました。
教育は私達にヒントを与えてくれます。先人達がまいてくれた種を受け取るためのヒントです。
そして歴史も多くのヒントを与えてくれます。日本の歴史にも振り返り立ち戻るべき教訓があるはずです。毎日を精一杯生きてください。痛みや試練を伴ってもなお、人生の美しさは褪せません。生きるということは、転んでは立ち上がり前に進むことの積み重ねなのです」と。(一部抜粋しました)

ムヒカは引退した後も自然の中で農家をしながら、地球の未来と未来の世代の為に何歳になっても出来る事はある、今度は私達が種を残す番です、と語っていました。
◆◆略歴:1935年、貧困家庭に生まれ、家畜の世話や花売りなどで家計を助けながら育った。1960年代に入り、左翼ゲリラ活動に加わった為、投獄4回、脱獄2回、銃撃戦で6発打たれ重傷を負った。軍事政権が終わるまで14年近く収監された◆◆
この様な壮絶な困難を乗り越えて来た揺るぎない強い芯の力があるからこそ、その思いがこもった言葉が生まれるのです。(2021/11/15)

ちびクレヨン” ちょっと前から『推し』応援中のDJ松永さん      初回3月21日からの第2弾
2019年ロンドンで行われた世界最大のDJ大会に日本代表として出場し、優勝。翌年、武道館にてコンサート開催。そして今年のオリンピック閉会式にトラックメイカー・ターンテーブリストとして出演し注目を集めました。私がラジオを聞き始めた頃とは大違いです。
今朝のテレビ番組のシェアトピックスで、スニーカーのCMに “DJライブ” 「クリピイ・ナッツ」が起用されてその撮影風景が流れました。昨日の新聞では、半面全部使って「#みんなに聞いてほしいことがある」というテーマで多くの人々に語りかけていました。1年ごとに大きく階段を登り、私の様な高齢者にも顔を認知されました(苦笑)
相方のラッパー、R-指定さんと魅力的なHIP HOPユニットは音楽だけでなく、楽しいおしゃべりもしっくり聞く人に届きます。
これからも益々活躍される事でしょう!注目してます。(2021/10/16)

ちびクレヨン” ルイ  アームストロング  『この素晴らしき世界』
      ラジオ英会話「What's This Song?」第3弾 ♪  Let's sing together!  ♪

先日番組で紹介された、1968年  のヒット曲です。
当時、私はまだ中学生でおぼろげな記憶しかありませんが、その後スタンダードな名曲としていろいろな場面で耳する様になりました。サッチモの圧倒的な声量と独特な歌声、親しみ深い姿と共に心にきざまれています。
曲の始まりからすぐに大きく美しい世界が自分の周りに広がり、心の底からゆっくりと喜びに包まれる感動的な音楽です。 でもなぜかその陰に同じ位の悲しみが隠されている様な気がしていました。
今、改めて歌詞を見ると、解説の中で当時 ベトナム戦争が泥沼化していた事が分かりました。 “サッチモの素晴らしい世界” あーそうか・・
今年8月30日、米軍がアフガニスタンから撤退して20年に渡る戦争を終わらせました。そして一方、世界中が1年半以上続くコロナ禍の生活をしています。いろいろな事が頭で渦巻きました。何か鬱屈した出口が見えない閉塞感漂う世の中、そんな時にこの曲は
「大丈夫だよ。きっと良い事があるよ。
だって、この地球はこんなにも美しいのだから・・・
この世界はこんなにも素晴らしいのだから・・・」と、語りかけている様に聞こえました。
(2021/9/17)

ちびクレヨン” 私のふたつのお盆
市川(結婚後)のお盆・・・
7月13日から15日、まだ夏の盛りには後一歩の頃に、毎年我が家のお寺(江東区砂町)のお坊さんが、自宅に見えてお経を唱えてくれます。
13日の夕方、ほうろく(素焼きの大皿)に おがら(麻の皮をはいだ茎)をポキポキ折って山に盛り、燃やします。 “市川のお盆” その火を目印に、亡くなった夫の父がここに間違えずに帰ってくる様にと、お米をパラパラ撒き(お米は火に炙られパチパチ音を立てます)、禊萩(みそはぎ)の花先を水に浸け、お米にふりかけます(ジューっと音がします) 「♪ヤンゴメ、クイクイ、チャー、ノミノミ♪」(焼米を食べてお茶飲んで)と母は歌いながら霊を迎えます。15日の夕方も同じ事をして見送ります。 この慣わしはその時によってメンバーは色々変わりましましたが、母と私は44年間一緒に行っています。母の歌も自然に覚えました。

もう一つのお盆・・・
私の父と母の実家は私の生まれ育った家から車で20分位の所にあり、印旛沼のほとりでとっても自然豊かな所です。そこに父と母のお墓もあります。父と母は当時としては珍しい恋愛結婚で隣同士です(蛇足ながら・・笑)と言っても人家はまばらで家と家は300メートル程離れています。その二軒に私の従姉妹が3人づつ居て、姉と同年代で皆年上です。姉と私は子供の頃夏休みをほぼ父母の実家で過ごし、従姉妹たちに遊んでもらいました。子供にとって楽園でした。その時のお盆の思い出は、遊びの延長で夕方から子供達は提灯を持ってお墓へお迎えに行きました。
“お盆佐倉” その後何年も経って結婚してからは、姉家族と私家族が弟が住む実家に帰りお墓まいりをしたり、夜になると子供達に提灯を持たせて、近場のお墓の方角の所まで行き霊をお迎えしたりしました。。だんだんと子供達が行かなくなり慣わしが簡略化して、お墓まいりだけの時もあります。こちらのお盆は真夏の太陽がギラギラした8月です。(2021/8/6)

ちびクレヨン” Kenさんの昔からある日本の代表的な副菜クッキング
今日も一日雨のようです。梅雨本番のある朝、私は「ふ〜〜ん、あれとあれで3食なんとかなりそうだ、今日は家に居よう」と、絵本のコンテを書き始めました。
2階の自分の場所でやり始めると、夫が10時頃1階に降りて行きました。なにやら台所でコトコト音がします。何か作っているみたいです。 私は11時頃おやつを食べようと台所へ降りて行くと、なんと、副菜が2品! 「おから煮」と「切り干し大根の煮物」が湯気を上げて出来上がっていました。いろいろな野菜がたっぷりと入っています!
“おからと切り干し” そう言えば、昨日、「豆腐屋でおから買って来た」と言ってたっけ。
そう言えば、何日か前、都心に出かけて、物産館(アンテナショップ)で「乾燥野菜買って来た」と言ってたっけ。のんきな私です(笑)
「乾燥野菜」は最近の夫のヒット商品らしく、いろいろな料理に利用しています。水に戻すだけで切らなくて良いし、良い意味で野菜の味が深まります。ここが今回の料理のオリジナル的な所ではないかしら?と思ってます。副菜があると食卓が豊かになるのでありがたいです。今後もヨロシク(笑)(2021/7/2)

■尚、参考まで
一般的な「おからの煮物」: おから250gを用意して、入れる具を切っておく。鍋で人参、ごぼう、油揚げ、ねぎ、ちくわ、しいたけ、などお好みの具を炒める。そこに おからを入れ、だし汁1カップ、酒、砂糖、醤油、みりん、塩を入れ、7〜8分、焦がさないように炒め混ぜながらなじませる■


ちびクレヨン” 私のマスク物語     
昨今はコロナ禍の為、何処に行ってもマスク姿は当たり前になりました。そこで、1日も早い収束を願いつつ、私とマスクの長い話を始めます。
私は20代始めの頃、突然アレルギー性鼻炎になってしまいました。鼻がムズムズっとしたと思ったら、20回位連続してくしゃみが出て、その後鼻水が止まりません。もしそれが朝だったらその日一日が台無しになります。不思議な事に一晩寝ると翌日はケロッと治ります。
原因は気温の変化や埃などみたいです(花粉症とは違うみたい)その後1年位で対処方法を会得しました。鼻がムズムズっとしたらすぐマスク!という感じ、旅に出た時は空気が変わるので要注意、夜はマスクをして寝ると案外鼻が暖かくて調子が良いです。

遠い昔の苦い思い出を一つ。
鼻炎になり始めの頃、社会人になって初めて一泊の社員旅行に出かけました。社員の女性は夜の宴会の準備の為、率先して働きます。新人は特に!です。私も当然そうしたかったのですが、その時よりによってくしゃみが止まらなくなり、何も出来ず、広間の控え室の隅で掛け布団にポツーンと一人くるまり、座布団などを抱え足早に通り過ぎる先輩達に「すいませ〜ん」とつぶやいていました。情けない話です。
当時の会社は、親睦の為、運動会やクリスマス会など色々な催しがありました。今でしたら、最近話題の「ジェンダーギャップ」として問題視されてしまいそうですね。 でもあの頃は何の疑問も感じず、催しに参加していました。 “ジェイソンとチイちゃん” 尚、その後くしゃみは治り宴会の場にケロッと座りました・・・(嬉涙)
もう一つのエピソード。
何年か経ちマスクに慣れ親しんでいた35才位の頃、実家に親戚が集まり皆で一泊した事がありました。布団を並べて寝る段になり、私の隣に寝ようとした姪が、すでに寝始めた私を見て「京子おばちゃん、ジェイソンみたいで怖い!」と、ビビっていました。当時流行っていたホラー映画「13日の金曜日」の主人公、ジェイソン・ボビーズの事です。大笑いでした。今でもマスクは私の強い味方です。 (2021/5/23)

ちびクレヨン” イーグルズ  『ホテルカリフォルニア』   ラジオ英会話「What's This Song?」第2弾
♪  Let's sing together!  And・・ Improve your English!  ♪
先日番組で紹介された、1976年  発表のカリフォルニアを舞台にした心に残る名曲です。
その昔、この曲がヒットしていた頃、一度聞いたら忘れられない曲でとても好きでした。現在でもロックのスタンダードとして時々耳にします。
若かったあの頃、何か不思議な物悲しさ、暗い闇に落ちてしまいそうなメロディー、哀愁あるエレキギターの音色、せつなく胸が締め付けられるこの感じは何かしら?・・・と思っていました。
私の持つ「ホテルカリフォルニア」という言葉から引き出される映像は・・・季節は夏だけど、日本とは違うカラッとした爽やかなイメージです。当時も今も1度は行ってみたい憧れの場所です。 “海と車car”
「キラキラと輝く海がすぐそばに見える素敵なホテルだから、みんな遊びにおいでよ」などと明るいのにやり切れないい世界(どんな?・・)を何となく想像していました。(そんなわけ無いのに・・)
そして、今回初めて訳詞を見てみたら、実は全く違うメッセージが込められている事を知りました。複雑で底が深〜いです。私がちゃんと理解できるはずがありません。なので、音楽を受け取る側は分からなければそれなりに感じ取って良いと思います。ただ、長い年月を経て、あの時感じたモヤモヤとした違和感の本質が多少理解できた気がします(ホッ・・笑)(2021/4/25)

ちびクレヨン” Kenさんのそこにあるモノで作るオリジナルクッキング
『べか菜とジャコのスパゲッティ』

ある朝、農家の軒先きで売っていた新鮮野菜を手に帰宅した夫。
「べか菜」(白菜の一種とか・・)みずみずしい青菜です。
「昼はスパゲッティにしよう!べか菜と昆布とジャコで・・・」と夫。 今家にある材料で作り始めます。べか菜はサッと水洗い適当な大きさに切る。干しジャコは酒に浸し数分間ふやかす。 “クッキングそらクレ” スパゲッティは大鍋で茹でる。生姜少々と昆布を適量刻む。
フライパンでふやけたジャコと生姜をオリーブオイルで炒め、そこに茹でたスパゲッティを入れ、次に白ごまとべか菜も入れ手短にザッと炒め、最後に刻み昆布とカツオだしの素と塩を少々振り入れ、出来上がり!早ーッ!
黄緑色のサクサクの菜はスパゲッティと良く馴染み柔らかくて春らしく美味しかったです。(蛇足ですが・・私はいろいろな所で覚えた決まった料理を決まった材料で作るのでビックリ〜・・笑〜) (2021/4/14)

ちびクレヨン” 只今『推し』応援中のふたり
2019年4月から2020年9月までの1年半、ラジオの放送で「アクション」と言う番組がありました。平日の夕暮れ時、各分野で活躍中の男性パーソナリティーが日替わりで5人担当していました。 その中で尾崎世界観さんが火曜、DJ松永さんが水曜日を受け持っていました。今となっては大変失礼ながら、当初、私は初めて聞く名前でしたので「誰?」と言うのが感想。 けれど、ラジオを聴くにつれ、人柄が伝わって来るので、楽しく聞きながら、二人ともミュージシャンらしい、それにしても「顔は?どのような・・」と色々想像していました。
尾崎さんは、その時々の興味深い事柄を淡々とハスキーな声で語るのが特徴的でした。
そうしているうちに、(2020.7.9)新聞に少年時代のエピソードが載り、写真が大きく、目がキリリとしてる姿に「おーー!こう言う感じの人だ!!」と感激しました。
松永さんは、まだその番組が続いている頃、ロンドンで行われた 世界最大のDJ大会に日本代表として出場し、優勝。帰国後、その時の様子をラジオで語り、私も喜びの一部を共有しました。とはいえ、まだ顔を知る事に至らず・・・すでに番組が終了した後の(2020.11)雑誌のインタビュー記事を見つけて、やっと姿を知る事ができました。その時は「わーーい!」と大喜び!
その後、だんだんと曲も耳にするようになりました。
“尾崎松永ミュージシャン” 尾崎さんはテレビ、ラジオで話す時と真逆の印象で明るく弾んで歌い、ハスキーボイスで思い切りシャウトしたり、若者に人気があるのが分かります。私は年寄りですが心地良いノリです(笑)。松永さんは相方のR-指定さんとのラップバトルが魅力的なテンポで繰り広げられ楽しめます。こちらも私でもOK!(背伸びしてませんよ〜〜笑)これからも益々活躍される事でしょう!注目してます。(2021/3/21)
(プロフィール/引用)
尾崎世界観さん  ミュージシャン「クリープハイプ」ボーカル、ギター
                             小説家   2021年1月第164回芥川賞候補作  単行本「母影」発表
DJ松永さん  ヒップホップユニット「クリピイ・ナッツ」トラックメイカー・ターンテーブリスト
                       めざましテレビ、マンスリー・エンタメ・コメンテイター(3月)出演中

ちびクレヨン” ザ・モンキーズ 『デイドリームビリーバー』
数年前からラジオ英会話の「タイムトライアル」という番組を聞いています(一向に出来る様になりませんが・・苦笑)それはさて置き「What's This Song?」というコーナーがあり、講師が始めに歌詞を読み上げる所で、なんの曲かすぐに分かり思わずメロディーを口ずさんでしまいました。
1967年発表の大ヒットソングです。モンキーズのいかにも若々しいい青年の声に心弾んでしまいます。 「青い鳥がさえずり、めざまし時計が鳴ったけど、まだ眠っていたいなぁ〜」 “そらいろクレヨン” みたいな始まりから徐々にリズミカルになって行きます。まあ!懐かしい〜!
あっという間に青春にタイムスリップしてしまいました。 歌とは不思議なものですね。
当時、私は歌詞の意味も分からず自己流で歌っていました。でも今回分かったのは、彼らの歌い方にクセというか、そこが英語らしくカッコいいのですが、発音は単語通りというわけでもなく、単語尾と単語頭がくっ付いて混じり合った音になったりしてます。音を頼りに聞きかじった私の歌はあながち間違いでは無かったみたいです。若者の耳はあなどれません・・今となっては遠い昔のはなしです。(2021/2/10)



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